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    日立ソフトボール部のブログです。
    選手たちの色々な素顔をお届けします!
    また、ソフトボールが大好きな人だけではなく、ソフトボールをあまり知らない人や、ちょっとだけ興味を持ってくれた人など、みんなに 「ソフトボール」の魅力を存分にお伝えしていきたいと思っています。

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2010年12月

2010年12月27日 (月)

想い出に残る試合ベスト5(こんなことも編)

 さて、今回は「こんなことも編」です。
 変わった記録や「えっ、こんなこともあったの?」みたいなものを紹介します。

●第5位: 超特大のホームラン!!!
 1991年日本リーグ1部第1節 日立ソフトウェア ○3-2 トヨタ自動車

 1部リーグ初年度の第1節。4番、史の一発はセンター頭上をはるかに越え、
 隣接していた反対側のグランドのスタンドを直撃。この後、史は走者がいても
 いなくても相手チームから3打席連続敬遠される。翌年の高校野球の甲子園で、
 現在、大リーガーの松井が5打席連続敬遠されたが・・・

●第4位: 6回まで相手投手にパーフェクトを喫するが・・・
 1994年日本リーグ1部第4節 日立ソフトウェア ○5-0 日本精工

 あれよあれよという間に、相手投手になんと!!6回まで完全試合を
 続けられる。さあ、最終回の攻撃は・・・?

●第3位: 外野フェンスのポールは、この試合がきっかけ???
 1994年日本リーグ1部第2節 日立ソフトウェア ●4-5 日本電装

 4-5と1点ビハインドで迎えた6回裏、走者2人を置いて中島(宏)の当たりは・・・ 
 出た!! 逆転3ラン!!!! と思われたが、判定は・・・???
 その後、外野フェンス脇にポールが設置されるようになったのは、この試合がきっかけか?

●第2位: えっ?!?! 日没再試合??
 1991年日本リーグ1部第1節 日立ソフトウェア 0-0 豊田自動織機

 1部リーグの試合といえど、照明設備が無いグランドでやっていたときは、こんなことも・・・

●第1位: 石川の連続イニング無失点記録がまさかの守備で途絶える
 1999年日本リーグ1部第6節 日立ソフトウェア ●0-1 大徳

 エース石川が70回1/3という日本人投手の驚異的な無失点記録を続ける。
 しかし、タイブレークでの挟殺プレーでまさかまさかの・・・ それでも、
 イニング数から換算すると10試合完封という数字であり、やはり石川は
 大投手であった。

****** 日立ソフトウェア女子ソフトボール部 応援団 広報班 ******

2010年12月22日 (水)

想い出に残る試合ベスト5(感動編:個人)

さて、今回は「感動編:個人」です。
チームには数多くの感動をもらってきましたが、その中で特に個人に対しての
印象が深いベスト5を紹介します。

●第5位: 新人高橋、初先発でいきなりの完封勝利
 1998年日本リーグ1部第3節 日立ソフトウェア ○4x-0 日通工

 新人の高橋が初先発ながら、チェンジアップを有効に使っての快挙。エース石川と
 良く似たタイプで、途中まで石川が投げているのかと錯覚したくらい。その後、故障に
 苦しんだが、ルーキーの初登板初完封はお見事。

●第4位: 千葉、途中代打で決勝タイムリー!
 2001年日本リーグ1部第3節 日立ソフトウェア ○4-3 日立高崎

 この試合、まずは土壇場での黒田の奇跡的な逆転ホームランが飛び出すが、
 すぐに追い付かれて延長へ。サヨナラのピンチも何回かあったものの、幸運が
 重なり切り抜けた試合。9回表、新海がエンドランを仕掛けるが自打球を顔に
 当てて負傷。2(S)-1(B)のカウントから代打の千葉が決勝タイムリー!
 とにかく、7回から波乱含みの内容であった。

●第3位: 遠藤の最終登板にスタンドの応援団にも涙が・・・
 2008年日本リーグ1部第10節 日立ソフトウェア ○4x-2 レオパレス21

 この年からプレイヤー兼バッティングピッチャーを務め、チームを影から支え続けて
 きた遠藤。元エースのリーグ最終戦でのシーズン初登板は、これが引退試合になると
 いうことでの監督の計らい。そういう事情を知っているスタンドの応援団は、遠藤の
 最後の勇姿を見て涙する人が多かった。

●第2位: 田本、大怪我からの復帰でタイムリー!
 2002年日本リーグ1部第1節 日立ソフトウェア ○13-1 太陽誘電

 2000年、初優勝した決勝トーナメントでの準決勝。外野フライの守備で交錯し、
 田本が足に大怪我を負う。しかし、1年間のリハビリを経て復帰。復帰戦ともなった
 開幕節で、その田本が見事なタイムリー! さらに盗塁も決めるなど完全復活。
 この日が来ることを信じ、1年間苦しいリハビリに黙々と取り組んだ成果が、
 見事に花開いた瞬間であった。

●第1位: 石川、創部初のノーヒットノーラン達成!
 1997年日本リーグ1部第3節 日立ソフトウェア ○1x-0 東邦銀行

 エース、石川が創部初のノーヒットノーラン達成!実は最終回二死まで完全試合を
 続けていたが、最後のバッターに痛恨の死球。しかし、続く打者をセカンドゴロに
 仕留めて偉業達成。このときの二塁手は斎藤であったが、最後の打球処理の守備
 動作がぎこちなかった思い出がある。実は斎藤だけでなく、野手全員が緊張感に
 包まれているのがスタンドにも伝わってきていた。
 なお、石川は翌年にもノーヒットノーランを達成する。

****** 日立ソフトウェア女子ソフトボール部 応援団 広報班 ******

2010年12月13日 (月)

想い出に残る試合ベスト5(感動編:チーム)

さて、今回は「感動編:チーム」です。
チームには数多くの感動をもらってきましたが、その中で特に印象が深いベスト5を
紹介します。

●第5位: 五大都市大会での優勝
 1988年五大都市大会

 県内の大会では優勝するものの、全国的な大会での優勝は創部4年目にして
 これが初めて。5つの都市の大会であり、全国大会とまでは言えないものの、
 それでも各都市の代表チームは全てが格上のチーム。それらを撃破しての
 優勝であった。

●第4位: 創部以来、初めての3大大会での優勝
 1996年国民体育大会全国大会(広島国体)

 1部リーグ、国民体育大会、全日本選手権は3つの大きな全国大会に数えられる。
 この中の一つ、国民体育大会全国大会(広島国体)で日立ソフトウェア単独チームの
 神奈川県が優勝。チームにとっては、創部以来、初となる3大大会での優勝であった。

●第3位: 厳しい条件の入れ替え戦を勝ち上がり、2部リーグ昇格
 1989年日本リーグ2部入替戦

 3部から2部に上がるための入れ替え戦。実はこの入れ替え戦に出るためには、
 3部リーグ内での入れ替え予選を勝ち抜き、2チームに残ることが最初の関門。そこを
 勝ち上がり、さらに2部リーグの下位2チーム相手に2勝することが条件。
 今から思えば、3部から2部に上がるための条件が一番厳しいものであった。

●第2位: 白い旋風 一気に2部を駆け抜ける!
 1990年日本リーグ2部第3節 日立ソフトウェア ○2-0 松下電工

 創部以来の目標であった日本リーグ1部入りを達成した試合。前年に2部リーグ
 入りを果たしていたが、圧倒的な強さで2部で勝ちまくり、わずか1年で無条件1部
 リーグ昇格。
 マスコミからはユニフォームの色をもじって「白い旋風 一気に2部を駆け抜ける」と
 取り上げられた。

●第1位: 創部以来、悲願の1部リーグ制覇!!
 2000年日本リーグ1部決勝トーナメント

 なんといっても、初優勝を果たした決勝トーナメント。
 準決勝で田本が大怪我を追うものの、決勝ではベンチの中から車椅子で大きな
 声を上げ、これに応えて石川はノーヒットピッチング。打者も球に食らいつくようにして
 点をもぎ取った執念の勝利。
 トーナメントの初戦から、出場選手、控えの選手、全員で勝ち取った栄光であった。

●番外編: 日本、オリンピックでの悲願の金メダル!!
 2008年北京オリンピック

 これは1位では? という人も多いかもしれないが・・・
 しかし、やはり日立ソフトウェアのチームを優先にベスト5を選出。ただし、北京
 オリンピックは、なんといっても、西山、山田、馬渕が打ちまくり、斎藤JAPANが
 悲願の金メダルをもたらした事は、日本中を感動の渦に巻き込んだ。
 北京のスタジアムで応援していて、我々が金メダルを確信したのは、オスターマンから
 山田がホームランを打った時であった。

次回もお楽しみに!

****** 日立ソフトウェア女子ソフトボール部 応援団 広報班 ****** 

2010年12月10日 (金)

アジア大会を終えて #10山田

皆様、たくさんの応援ありがとうございました!
現地の日本人の方もたくさん会場に来てくださり、頑張る力を頂きました。
アジアで勝つのは当たり前という中での戦いでしたが、他の国の力が上がって
きていると感じ、レベルの高い戦いができたと思います。誰かだけの力ではなく、
全員の力で勝ち取った金メダルです!
国際大会が減ってきてはいますが、これからもソフトボールを盛り上げていきます!
皆様、今後とも宜しくお願いします。

#10山田

2010年12月 8日 (水)

想い出に残る試合ベスト5(あの人が…編)

シーズンオフに入りソフトボールの話題も少なくなってきましたが、こんな時こそ
ベスト5シリーズでお楽しみ下さい!
今回は「あの人が・・・編」と題し、後に主力選手となった人の話題に触れて
みたいと思います。

●第5位: 入部1年目から大活躍の斎藤でも
 1988年公式戦試合結果

 入部1年目から打順はクリーンナップ、守備では不動のショートの大型新人斎藤。
 華麗な守備とともに、打撃は1年目からホームランを含む長打の連発で大活躍。
 しかし、記事には残っていないが、そんな斎藤がサヨナラスクイズを決めたゲームが
 あった。

●第4位: 藤本、チームバッティングで勝利に貢献
 2000年日本リーグ決勝トーナメント 準決勝、決勝

 長年に渡って正捕手の座を守り続けてきた藤本。守備の人と思われがちだが、
 打撃は長打はないものの、エンドランなどのチームバッティングで大いに貢献。
 その真価が発揮されたのが、1部リーグ初優勝を飾った2000年の決勝トーナメント。
 準決勝、決勝と2試合連続で重要なエンドランを見事に決め、優勝に大きく貢献する。

●第3位: 努力は裏切らない
 2000年日本リーグ1部 来條、首位打者&ベストナイン獲得
 2001年日本リーグ1部 黒田、ベストナイン獲得

 1997年同期入部の来條と黒田。
 来條は3年目でレギュラーを獲得し、その翌年にはリーグ初優勝に貢献。さらに、
 ベストナインと首位打者を獲得する。
 黒田は5年目にレギュラーを獲得し、その年にいきなりのベストナイン。
 入部以来、お互い控えの座にありながらもコツコツと努力を積上げ、一気に開花
 させた苦労人である。
 やはり、日頃の努力は裏切らない。
 ちなみに、日立ソフトウェアには、3~5年かけてレギュラーを獲得している選手が
 結構多い。

●第2位: とてつもない新人登場!
 2002年日本リーグ1部第3節 日立ソフトウェア ○8x-0 デンソー

 新人で1番センターのスタメン。いきなりルーキーでホームラン王、打点王、得点王、
 盗塁王、連続安打記録など、数々の賞を総なめにするとともに、数々のリーグ記録も
 樹立。終盤、首位打者の可能性もあり、新人での三冠王が届くところまできたが・・・
 しかし、一歩及ばず。
 さて、このとてつもない新人は?

●第1位: 馬渕の苦いデビュー戦
 2000年日本リーグ1部第1節 日立ソフトウェア ●0-2 シオノギ製薬

 開幕戦で馬渕が新人でデビュー。6番センターのスタメンで出場するが、自らの
 トンネルでタイムリーエラーを犯してしまう。打撃も3打数ノーヒット2三振と、あまり
 にも苦いデビュー戦。試合終了後、泣きながらバットを振っていた姿が印象的。
 しかし、この悔しさがあったからこそ、後の馬渕が誕生したのだと思う。

次回もお楽しみに!

****** 日立ソフトウェア女子ソフトボール部 応援団 広報班 ******

2010年12月 7日 (火)

アジア大会を終えて  #14藤原

アジア大会では、チーム一丸となって戦い、金メダルを取ることができ、
表彰台に登った時はとても感動しました。
日本からもたくさんの応援ありがとうございました。

#14藤原

アジア大会優勝 #25馬渕

今回、このメンバーで臨める最後の大会ということもあり、絶対に優勝したい!
という思いで臨みました。
今まで色んなことがあり、それでも皆で頑張って乗り越えてきました。
このメンバーの一員でいれたことに誇りをもち、支えて下さったスタッフの方や
応援してくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
また、今大会では色々な国の選手や違う競技の選手と触れ合う機会も多く、
生で試合を見ることは出来なかったんですが、とてもたくさんの刺激を受けました。
こういう機会はそうないことなので、感じたことを色んなことに生かしていきたいなと
思います。
たくさんのご声援本当にありがとうございました。

#25馬渕

2010年12月 6日 (月)

アジア大会優勝  総務:亀田

アジア大会を優勝する事が出来ましたのも、日頃からの皆様のご理解とご声援が
あったからこそと大変感謝しております。ありがとうございました。
現地で応援して下さった方や日本で声援・メッセージを送っていただいた方々の想いに
とても勇気付けられ、心強く感じました。私自身も多数貴重な経験をさせて頂き、
文化や環境についても知らない事も多いので、大変勉強になりました。
今後ともご声援の程よろしくお願いします。

総務:亀田

2010年12月 3日 (金)

アジア大会 #12濱本

アジア大会では、たくさんの応援ありがとうございました。
私自身、初めてのアジア大会で優勝出来、とても嬉しく思います。
試合をしていて、本当に私は恵まれた環境でソフトボールが
出来ているなと感じました。
支えて下さるすべての方に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、何よりも嬉しかったのは、斎藤監督を胴上げ出来た事です。

来年は、日本リーグで藤本監督を胴上げ出来るよう、頑張りますので、
今後とも宜しくお願い致します。

#12濱本

1年間応援ありがとうございました  監督:藤本

今シーズンも1年間、ご支援ご声援をいただき感謝申し上げます。

決勝戦では、守備での粘りは出せたものの、相手投手に対し粘れず、完全試合を
喫してしまったことに悔しさが残ります。

なかなか、ソフトウェアらしい戦いをすることができず、皆様にご心配をお掛けしました。
崖っぷちではありましたが、決勝トーナメント進出をかけた保土ヶ谷での試合、そして、
決勝トーナメントでの三試合では多くの皆様のご声援を受け、「日立」としての誇りを持ち、
応援してくださる皆様と共に戦うことができたことに大変感謝しております。
苦しい時も一人ひとりが「チームのために何をするべきか」を考え、諦めず底力を出し戦った
選手達を、私は誇りに思います。
また、マネージャー、情報スタッフ、トレーナーのサポートがなければこのような結果は
ありませんでした。大変感謝しております。
直接球場へは来られなくても、日本中の皆様にブログを通して、応援していただき、
そして温かく、熱のこもった応援コメントを書いていただき、私達も非常に心強かったです。
ありがとうございました。
来シーズンは、優勝との差を克服し、皆様と優勝を味わえるよう精進してまいります。
1年間本当にありがとうございました。

30kantoku_face 監督:藤本

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